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松坂慶子 / EXPENSIVE- 1 弟よ[ゲスト 風間杜夫 平田 満 石丸謙二郎 萩原流行][帯付、歌詞付] (LPレコード)

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[※国内盤,品番:AX-7361][帯付、歌詞付][盤面=EX][ジャケット=EX][※保護内袋を新品交換して配送致します]※[店舗併売の為、時間差で売切れの場合がございます。何卒ご了承の上ご注文をお願い申し上げます] ──────────── 収録曲 SIDE-1 (30:45) [A面] 01.オープニング・テーマ 岩崎肇 作曲 (0:50) 02.沖縄ベイ・ブルース 阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲 (3:05) 03.知らず知らずのうちに 宇崎竜童作詞・作曲 (3:38) 04.アイム・ジャスト・ア・フーチー・クーチー・マン 宇崎竜童作詩・作曲 (2:41) 05.想い出のグリーン・グラス 山上路夫訳詞、CURLY PUTMAN作詩・作曲(6:27) 06.弟よ 橋本淳作詩・川口真作曲(3:41) SIDE-2 (30:28) [B面] 01.蒲田行進曲 堀内敬三日本語詩、B Hooker原詩 R.Friml作曲 (2:33) 02.愛の水中花 五木寛之作詞、小松原まさし作曲(2:56) 03.プレイバックPart2 阿木燿子作詩、宇崎竜童作曲 (3:21) 04.ロックン・ロール・ウィドウ 阿木燿子作詩、宇崎竜童作曲 (4:02) 05.アイム・ジャスト・ア・フーチー・クーチー・マン 宇崎竜童作詩・作曲 (2:17) 06.エンディング・テーマ~ 枯葉 Les feuilles mortes J.Prevert J.Kosma作曲 (2:01) ゲスト 風間杜夫 平田 満 石丸謙二郎 萩原流行 作成元–NipponColumbiaCo.,Ltd. Live at Shibuya Egg-man Tokyo Nov 3rd 1982. ──────────── 人物 : 松坂 慶子(まつざか けいこ、1952年7月20日 - )は、日本の女優・歌手・司会者・タレント。本名:高内慶子(たかうち けいこ)。身長162cm、血液型A型。モマオフィス所属。東京都大田区出身。 韓国人の父と日本人の母との間に誕生。早産で未熟児だったという。七歳下の弟がおり4人家族。「イングリッド・バーグマンのような綺麗な女性になってほしい」との両親の思いから、いくつもの習い事をかけもちしていた。 1959年(昭和34年)、渋谷区鳩森小学校入学。 小学2年の1960年(昭和35年)、「くるみ芸術学園」に入り、歌唱科、ピアノ科、児童舞踊科を受講。 1961年(昭和36年)、転居のため中野区立向台小学校に転校。NHK「腕くらべ声くらべ子供音楽会」で「カラスの赤ちゃん」を歌い合格。 中野区立第三中学では演劇部に所属。落語家の二代目快楽亭ブラックは中学時代の同級生であり、ともに演劇部に所属していた。中学2年の1966年(昭和41年)、「劇団ひまわり」に入団。翌年、幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)でテレビ初出演。『ウルトラセブン』の第31話「悪魔の住む花」では、ミクロ怪獣ダリーに寄生された少女・カオリ(香織)役として出演する。 1968年(昭和43年)、日本大学第二高校に進み、同校を卒業。高校2年の1969年(昭和44年)、古賀政男ギター歌謡学院で週2回の歌のレッスンを受ける。同年、大映からスカウトされる。『女子高校医の記録 続・妊娠』で女高生の一人としてスクリーンデビュー(ただし、クレジットなし)。 1970年(昭和45年)、大映東京撮影所入社。TBSテレビ『おくさまは18歳』、『なんたって18歳!』レギュラー出演。 1971年(昭和46年)、映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリの降板により代役で映画初主演。12月に大映が倒産。 1972年(昭和47年)1月1日、松竹へ移籍。1973年(昭和48年)、日大文理学部聴講生となる。NHK大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じて広く知られた。1975年(昭和50年)、時代劇『江戸を斬る』に出演。1978年(昭和53年)の映画『事件』では清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の映画『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放送のTBS系テレビドラマ『水中花』に主演。また、同ドラマの主題歌「愛の水中花」をリリースし、大ヒット。ドラマ劇中で披露した妖艶なバニーガール姿も話題となり、「愛の水中花」のレコードジャケットはその衣装を着用した写真であった。その衣装でTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』にも出演した。 1978年にテレビ放送開始した『銀河鉄道999』のメーテル役にプロデューサーの横山賢二は松坂を考えていた。 1980年代も『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、『蒲田行進曲』、『人生劇場』、『火宅の人』などの映画や、テレビドラマではNHK大河ドラマ『春の波涛』などの作品に立て続けに主演・出演した。この頃の松坂は深作欣二が監督する映画・テレビドラマに多く出演している。 1990年(平成2年)、松竹から島田事務所へ移籍。 1991年(平成3年)、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)と結婚。1月2日、ニューヨークで挙式。当時、人気女優と無名に近く収入の少ない高内との結婚は「格差婚」と取り沙汰された。また、松坂の両親は結婚に大反対していることを隠さず、マスコミの取材を受けて、今まで松坂が公にしなかった事実や様々な思いを吐露した。特に、松坂慶子名義の「実印」への執着が凄まじく、松坂慶子が自身の実印を持ち出した事をしきりに追求していた(のちに『娘・松坂慶子への「遺言」』を上梓するきっかけとなった)。夫となる高内を庇っていた松坂であったがついには親子絶縁宣言。結婚後、夫が活動拠点としている米国ニューヨークに移住して7年ほど過ごした。 フランス政府観光局の親善大使に選ばれた。 1992年2月8日に長女、1994年に次女を出産。二女をもうけた(2008年に中学生となった姉妹は、NHK教育テレビジョン「3か月トピック英会話「赤毛のアン」への旅〜原書で親しむAnneの世界〜」(2008年4月 - 6月)で松坂と共演した)。長女を出産した際には、ニューヨークにいる共通の知人を通じて知った緒形拳からFAXが届き、毛筆で「ばんざい、ばんざい、ばんばんざい」と書かれてあった。 2000年(平成12年)、東京電話のCMでは大根を持った主婦をコミカルに演じ、新境地を拓いた。 石原プロモーション主催「オロナミンC 一億人の心をつかむ男 新人発掘オーディション~二一世紀の石原裕次郎を探せ!~」審査員 2002年(平成14年)、なかにし礼原作・監修による写真集『さくら伝説 -松坂慶子写真集』を発表。 2005年(平成17年)8月、大塚食品が発売した「ボンカレークラシック」のパッケージキャラクターを、松山容子から引き継いだボンカレーのキャラクター変更は37年ぶり。同年秋にはドラマ『熟年離婚』に主演。渡哲也演じる夫に離婚を切り出し、新たな人生を歩み出す主婦役を演じた。さらに同年12月30日放映のバラエティ番組『ウリナリ芸能人社交ダンス部』の兄弟特別番組「オールスター Shall we ダンス?〜有名人社交ダンス選手権〜」では、ダイナミックな動きとキレのあるダンスを披露し、初出場ながら優勝した。 2007年に、松坂の父が死去したことを機に母との確執も氷解。高齢になった母と2012年から同居している。夫は多忙な松坂に代わり、母の介護や家事を担っているという。 2008年の映画『火垂るの墓』では親戚の子達を虐める叔母役を演じているが、「本来は優しい人物だと思っていたのに、最後まで悪い人物という描かれ方に違和感があり、一度はオファーを断った」ものの出演した作品である。本作の舞台挨拶では畠山彩奈から「松坂さんに怒られるシーンを撮影中、本気で泣いてしまった」と告白されるなど徹底した虐め役は、松坂にとっても新たな境地を開く作品となった。 2013年(平成25年)2月、日本テレビ開局60年特別番組 TV60 日テレ×NHK『60番勝負』・ドラマ対決で、NHKが制作した『松坂慶子 女優最後の日』の冒頭、松坂が登場したシーンにおいて3万8313「イィ」(番組内で視聴者からの反応を測る数値)を記録し、2日間にわたって放送された当番組内の最高値であった。 同年、映画『牙狼-GARO- 〜蒼哭ノ魔竜〜』において、還暦にして初のアクションシーン・ワイヤーアクションをこなした。松坂自身、前々からやってみたいと思っていたが、それまで全く機会が無かったとの事。 2018年には大河ドラマ『西郷どん』に出演し、自身の主演作『春の波涛』、初出演作でヒロイン濃姫を演じた『国取り物語』や高い評価を受けた『篤姫』を含む9回の出演で最多出演女優記録の草笛光子に並んだ。その後草笛は『鎌倉殿の13人』に出演しているため、2番目となっている。 (ja.wikipedia.orgより) https://ja.wikipedia.org/wiki/松坂慶子

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